おもしろかったですねえ。
── ええ、ほんとに(笑)。
ま、ちょっとたいへんでしたけど、
おもしろかったです。
高橋 本当は
「写真家って言ったって
みんなと、ぜんぜん変わらないんですよ」
みたいなことだと思ってんだけど、
話せば話すほど、変わってましたし(笑)。
── はい(笑)、でも、あらためて
「すごく考えている」人たちなんだなって
思いました、写真家さんって。
高橋 それは、そうかもしれないですね。
結局、写真ってひとりでやるものじゃなく、
被写体との関係性、
まわりの人との関係性を考えないと
成り立たないってことなんじゃないかなあ。
── 今回、出てくださった写真家の人選は、
すべて宗正さんにお任せしたわけですけど、
どうでしたか、終えてみて。
高橋 個々に言えば、
ます浅田(政志)くんと大森(克己)さんは、
言語化するのに面倒なことを
わかりやすく、話してくれましたよね。
── 浅田さんは「家族写真」についての話、
大森さんは
「インスタグラム」「福島」について。
高橋 ええ。
── 浅田さんは
ほとんどのカメラについているのに
あまり使われていない
「セルフタイマー」を使えば
「みんなの写真が撮れる」と言っていて、
そのことが、すごく印象に残っています。
高橋 「写真を撮る側と撮られる側に
分かれないんだ」って、
浅田くん、すごくいい視点だなと思った。
── 大森さんは、さすがの説得力でした。
インスタグラムをはじめたという話から
「ハッシュタグを
たくさんつけられるっていうのは
いい写真の条件のひとつかも?」と。
高橋 そもそも、大森さんが
インスタグラムをやってるってことが、
何だか、うれしかったなあ。
── あと、写真を撮るときの態度として
「ラテン・アメリカに
好きなバンドを撮りに行ったときと
震災後の福島を撮ったときでは
決定的なちがいはない」という話も。
高橋 写真家ってどういう仕事なのか、
ということに
気づかせてもらった気がします。
もう「先輩、かっこいいっす!」です。
── 宗正さんは、濱田さんとは?
高橋 そんなに話したことはなかったんですけど、
「写真のコンセプト」という
ややこしい話を
すごく、噛み砕いて話してくれましたよね。
コンセプトって、いわば「レシピ」だって。
── はい、濱田さんのお話で
「キレイ、かっこいいだけじゃない
写真の楽しみかたがあって、
写真のレシピを知れば
写真をもっと、おもしろがれそうだな」
と、思いました。
もっと写真に親しみたいんだけど
何か難しそうだし‥‥と思っていた人に、
手を指しのべてくれるような話で。
高橋 山本さんは、圧巻でしたねえ。
そんな人は、日本に何人もいませんけど
海外のアート市場で
「作品を売って、生活している」プロの、
超実践的な仕事論でもあって。
── とくに
「俺が木の根っこを撮るときには
必死になって『正面』を探してる。
木の根っこひとつに
フィルム1本、使っちゃうこともザラ。
だから、これはあんまり撮ってないな、
必死に正面を探してないな、
という写真は、一目瞭然にわかる」
というあたりは、しびれました。
高橋 うん、うん。
── 山内さん&伊丹さんの回は破壊的でした。
高橋 それまでの「いい流れ」を
いい意味で、ぶち壊しにしましたね(笑)。
── 山内さんのヒッチハイク話はともかく(笑)、
写真への態度、撮ってるもの、撮影方法、
まるで別の職業みたいに違うふたりが
おなじ「写真家」で、しかも仲がいいなんて
写真家っておもしろいなー、と。
高橋 すっかり場が「居酒屋」になっちゃって。
── 収録のあとに行った本物の居酒屋が
すでに「二次会」的なムードでした。
高橋 ほんと、いろいろなタイプの写真家が
協力してくださったんで
読者のみなさんも、誰かひとりくらいは
「この人の写真、この人の考えかたは
好きだな、おもしろいなあ」
って、思ってもらえるんじゃないかなと。
── たしかに。
高橋 もちろん、写真家の数だけ
写真家のスタイルってあるわけですけど、
結局みんな、
その人の生き方や、考え方や、
人生そのものと
すごく密接に関わってますよね、写真が。
── はい、それはほんとに、そう思いました。
「この人が撮るから、この写真なんだな」
って。
高橋 こうやって話を聞いて
あらためて、その人の写真を見返すと
「うわ、この人がすごく出てる!」
って、びっくりする(笑)。
── ですね(笑)。
高橋 もちろん、6人の写真を、
ぜんぶ好きになる必要はないわけです。
それぞれ良さは、それぞれにあるし、
人の好みも、さまざまだし。
── ええ。
高橋 でも、どれかひとつは
好きな感じの写真が見つけてもらえたら、
うれしいなあと思います。
── 僕たち的には、宗正さんに
「こっち側」に立ってもらったからこそ
できた企画なんです。
たとえばですが、自分たちだけでは
「山本昌男さんに
写真家で食うことについて聞いてみよう」
なんて発想は無理だし。
高橋 まあ、山本さん自体が、
日本では「謎の存在」ですもんね(笑)。
── 宗正さんご自身としては、
この企画、やってみて、どうでしたか?
高橋 うーん、僕自身、写真で食ってますけど、
うまくいかないときとか、
なんだろう、
「LOST&FOUND PROJECT」で
海外を回ってて
貯金が「2万円」にまで減ったときとか(笑)、
「俺、写真でよかったのかな?」
って思うことも、まあ、あったんです。
── ええ。
高橋 でも、こうやって、
自分自身がリスペクトしている人たちに、
ふだんはあんまりしない話を聞けて、
「とりあえず、写真はいいぞ」って‥‥。
── 思えた?
高橋 思えた。
俺がやってる仕事は、
これからもやってていい仕事っていうか、
「写真、すごいいいじゃん!」って。
── いいですねえ。
高橋 同じことは
「LOST&FOUND PROJECT」のときも
感じたんですけど
「もともと自分が思っていたよりも
よっぽどいいじゃん、写真!」
みたいな、ちょっと誇らしい感覚というか。
そこに対する迷いは、もうないです。
── おお。
高橋 だから、これからも写真を撮っていくし、
こういう企画も
「きっとおもしろいから、やりません?」
って人に言えるし。
ふだん、みんなは気にしてないけど、
スマホで撮った写真とか
FacebookやInstagramにアップしてる
何気ない写真なんかも
「なかなか、いいもんですよー」って
自信を持って言えますしね。
── みんなが撮ってるスマホや携帯の写真は
遠くのほうで
「プロが撮った作品」や
「写真集」「写真展」につながっている、
ということは
この企画のテーマのひとつでした。
高橋 いや、ほんと、そう思いますね。
── これから先の時代って、ほとんどの人が
一生、写真に付き合いますもんね。
写真禁止令でも出ない限り。
高橋 一生どころか、
その人が死んだあとも残るわけだから、
「だったら
カメラの使い方をマスターして
少しでも『見た目もいい写真』にしてみたら
もっと楽しいと思うよ?」
みたいなことも、言ってみたいですね。
── なるほど。
高橋 もう、まちがってでもいいから
「写真家、ひとりでも増えないかな?」
って企んでたりするんで(笑)。
── この企画をやってみて、
写真の領域ってすごく広いなと思いました。
プロの写真家が撮る作品も写真、
ぼくらがスマホで撮るのも写真、
この企画自体も「写真」の範疇ですし、
宗正さんが
被災写真を集めて洗って展示して
海外にまで巡回したのも
もちろん「写真」の領域ですもんね。
高橋 そうですね。
── 一枚の写真の前後に、
ものすごいふくらみがあるって言うか。
高橋 僕がやってた「集める、洗う」なんて、
それこそ、
職業としての「写真」とは
まったく関係ない人たちがたくさん、
ボランティアで参加してくれたんです。
── そうですよね。
高橋 僕なんかが「洗う」のは、
ある意味では、当然のことなんです。
ずっと「写真」に関わってきたから。
── ええ。
高橋 でも、あのときは、
本当に、何の関係もない人たちが
何の見返りもなく、
むしろ、安くない交通費を払ってまで
ただ写真を「集めて、洗う」ことに
汗を流してくれた。
「気持ちのいいやつらじゃないか!
写真のまわりの人たちは」
って、すごく、うれしかったですね。
── やっぱり職業としては関係なくても、
思い出としては
「僕らも、おおいに関係あるよ!」って
ことなんでしょうね。
高橋 だから、そうやって
誰もがいろんなレベルで関われることが
「写真のポテンシャル」かなって。
── なるほど。
高橋 そう思いますし、
何より「楽しい」んですよね、写真って。
<おわります>
張維中:青春如燦櫻,為何日本人熱衷談論20歲的自己?
對於時間、季節、青春等關鍵字,向來十分纖細敏感的大和民族, 談到「20歲」,總有剪不斷的情感。
張維中
張維中
作家。現於日本任職訪日旅遊促進之媒體情報業。
城市2017-02-21收藏 分享文章 評論
若搭時光機回到過去,會想對20歲的自己說些什麼呢?
若搭時光機回到過去,會想對20歲的自己說些什麼呢?圖:Tse ng Lee / 端傳媒設計部
日本人對於「20歲」始終有種特殊的情感投射。 在法律的現實層面上,最大的原因來自於日本社會, 對於成人的法定年齡定義即是20歲。20歲開始, 你才可以正式飲酒與吸菸;能夠考取如駕照等各種證照資格; 可以不經雙親同意就自行結婚、向銀行借款,以及租賃房屋, 甚至收養無血緣的子女; 能夠參與博弈等公營競技投票券的購買和轉賣; 當然也必須開始背負許多的義務,例如繳交國民年金。
過去,日本人在20歲才能擁有選舉權, 但是近年來投票族群高齡化,再加上少子化的窘況, 年輕人有感無法改變政治現狀,進而對時事冷感。有鑑於此, 政府在企圖擴大年輕投票族群的前提下,2016年已修法將投票權 的年齡下限,降低至18歲起始。
儘管投票權降到18歲了,可是對日本人來說, 成人的定義在情感面上仍停留在20歲開始。在日本的國定假日中, 有「成人の日」(一月第二個星期一)的存在, 足以顯見這個民族對「20歲」關卡的重視。在成人日的這一天, 全國各地都會舉辦「成人式」(成年禮),年滿20歲的孩子大多會 在家人陪同下盛裝出席。在那一天,過去未成年的孩子會被稱為「 新成人」,自此以後在社會大眾的眼光中, 就成為一個該為自己負責任的大人。
許多不能做(或該說不能公開做)的事,在20歲以後都可以正大光 明做了。向來對於時間/季節/青春等關鍵字, 十分纖細敏感的大和民族而言,「20歲」因此總有剪不斷的情感。 正值20歲當下的年輕人,感覺跨越了人生的分水嶺;至於離開20 歲的大人們,心中也時常盈滿着懷舊與遙想青春之情。畢竟別忘了, 幾乎以20歲世代為題材的故事,多半都是創作者的回首之作。
正值20:日本雜誌永恆操作的議題
恍若櫻花一般,唯美的綻放,卻旋即隨風墜落的短暫花期, 人間一瞬,青春亦如燦櫻,轉眼就毫不留情的衰弱。 日本人愛櫻花的性格,多少也轉嫁到了對於青春無敵的詠嘆。 世界上少有另一個民族,無論在文學作品、電視劇、電影、漫畫, 甚至是色情片產業,始終都毫不厭倦地熱中著墨20歲世代的青春圖 騰。
網路媒體票選最受20歲前後男生讀者歡迎的雜誌。2
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網路媒體票選最受20歲前後男生讀者歡迎的雜誌。圖片來源: 作者提供
以10歲世代後期,跨向20歲世代(學生及社會新鮮人) 為閱讀對象的雜誌,在每個月出版的日雜中占了很大的比例。 網路媒體曾經票選最受20歲前後讀者歡迎的雜誌, 女生讀者最愛的包括《S Cawaii!》、《CanCan》、《mina》、《Ray》 、《ViVi》和《non-no》等雜誌;男生讀者愛看的則有《 Men’s Non-no》、《FINEBOYS》、《street JACK》、《smart》、《Men’s JOKER》、《POPEYE》等雜誌。不僅種類百花繚亂, 大部分的特輯多鎖定在閱讀年齡是20歲前後,登場各類型的企劃。
由MAGAZINE HOUSE出版的《POPEYE》男子時尚雜誌,在2017年3 月號中更以「20歲的時候,你在做什麼?」為標語, 定調出該期特輯的主題。在這份特輯中,首先訪問了33位橫跨各個 領域的人士,包括了知名時事評論作家立花隆、藝人瑛太、 歌手森山直太朗、作家朝井遼、羽田圭介和音樂人井上陽水等人, 全文版面除了訪談20歲的時候,他們正在做些什麼事情之外, 同時以現今和20歲的照片相互對照,反差出光陰默默流過, 卻刻下深刻的痕跡。
編輯室表示,該期主題的發想,最初始於立花隆在東大講座的成書《 20歲的時候》。今年76歲的立花隆,在20歲時曾積極參與社會 政治運動,對照當下失去批判精神的20歲日本學生, 著實落差不小。若真要給20歲的年輕人什麼建言, 也許立花隆這一段話可作為贈禮:「好奇心和行動力, 是會彼此感染的。人生混雜着好壞的相遇。總之, 就是去認識各種類型的人就對了。」
今年34歲的藝人瑛太說,19歲的他剛換了新的經紀公司, 立志要成為一名好演員,可事實卻是經常連續幾週什麼工作也沒有。 剛滿20歲的那年,常常就是跟朋友、前輩喝酒喝到天亮。 開心是開心,但真的沒錢, 只能到百圓超商買最便宜的下酒菜跟廉價燒酒。有時去居酒屋, 付錢時才發現現金不夠,只好跟店員道歉,衝回家殺撲滿找零錢。 後來,在許多人際關係的分合中自我反省, 才修正生活方式和工作態度。若搭時光機回到過去,會想對20歲的 自己說些什麼呢?瑛太說:「照自己原有的樣子活下去吧!」 說的當然不是買醉,而是一種堅持,對於自己想做的事。對20歲的 自己沒有太多話想說,倒是對20歲的倍數「40歲」 的自己充滿期許。瑛太說,40歲的自己,希望在銀座開個攝影展。
33位名人訪談後,《POPEYE》還製作出「20歲時想讀的書 ,想看的電影」單元;六位身障人士運動員,回首20歲時的自己與 展望;以及「20歲時,這些已留名青史的人物, 當時做了什麼事情」單元。
瑛太說:「照自己原有的樣子活下去吧!」說的當然不是買醉, 而是一種堅持,對於自己想做的事。
瑛太說:「照自己原有的樣子活下去吧!」說的當然不是買醉, 而是一種堅持,對於自己想做的事。
回首20:關於「20」的關鍵字
日本人所熟知的不少名人,恰好都是在20歲時, 奠定許多重要的事蹟。例如迄今仍活躍, 就連三越百貨大門前的石獅雕像, 都要引用他詩句的日本國民詩人谷川俊太郎,他的第一本書, 也是讓他一砲而紅的作品《20億光年的孤獨》就是在20歲出版的 詩作。名主持人也是小說《窗口邊的小荳荳》作者黑柳徹子,在19 53年日本的電視台相繼開台播送這一年,以20歲之姿登上螢幕, 被譽為「第一號電視女星」的稱號。當然,也不能忘記安室奈美惠在 1997年20歲時發行「CAN YOU CELEBRATE?」單曲,創下250萬張以上的銷售量。 這張單曲,迄今仍是ORICON史上女歌手單曲賣量第一名。
20的情感投射不單只是20
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